2025年6月20日、佐賀市市民活動プラザにて、東日本大震災の津波伝承館「閖上の記憶」代表の丹野祐子さんを囲むお茶会が開催され、プラザ長の秋山が参加しました。このお茶会は宮城県人会さが代表の富田万里さんの呼びかけによるもので、会場には長年にわたり佐賀から丹野さんの活動を支えてきた方々が集い、心温まる交流の時間が流れました。
丹野さんが暮らす港町「閖上(ゆりあげ)」


丹野さんが暮らしていたのは、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)。仙台市のすぐ南に位置し、佐賀平野のようにどこまでも平らな「仙台平野」に広がる、漁業の盛んな港町でした。
震災前は約2,500世帯、5,500人以上が暮らし、仙台空港からもほど近いこの町は、毎週日曜の「ゆりあげ港朝市」などで多くの人で賑わっていたといいます。海があって、家があって、田んぼが広がる、穏やかな日常がそこにはありました。


「たまには帰っておいで」— 息子・公太くんへの想い
丹野さんは、2011年3月11日の東日本大震災で、閖上のご自宅と、義理のご両親、そして当時中学1年生だった最愛の息子・公太くんを津波で亡くされました。
「私がダメな母親だったから。勉強しなさい、宿題しなさいとしか言っていませんでした」
そう言って丹野さんが語り始めたのは、漫画が大好きだった公太くんの思い出。毎週月曜日に週刊少年ジャンプを買うのを楽しみにしていた公太くん。その柩の上に一番最初に置いたのが、ジャンプだったそうです。
「気になるだろうなと思うと、次を初めて買ってあげようと思いました。それが私が唯一できる供養。今もジャンプを買い続けて、もう650冊を超えました。床が抜けそうです。だから、息子には『たまには帰っておいで。読んだら帰っていいから』と伝えています」
この言葉に、会場はしんみりとした空気に包まれ、参加者は皆、丹野さんの言葉を胸に刻むように聞き入っていました。
丹野さんは、同じように子どもを亡くした14人の遺族と共に「閖上中学校遺族会」を立ち上げ、子どもたちが生きていた証として慰霊碑を建立。そして、その慰霊碑を守り、震災の教訓を伝えるための津波復興祈念資料館「閖上の記憶」を開設しました。
佐賀と閖上をつなぐ「鳩ふうせん」
佐賀とのつながりは深く、毎年3月11日の追悼行事で揚げられる「鳩ふうせん」には、プラザをはじめとする有志の拠点を通じて集まった多くのメッセージが寄せられています。
丹野さんは「佐賀の皆さんの腕が年々上がっていて、素晴らしい作品が届くのが楽しみです」と、感謝の気持ちを述べられました。




経験者でなくても—広島でつながった想い

お茶会では、丹野さんが広島の原爆資料館を訪れた際の貴重な経験も語られました。
「経験者でなくても、伝える人がいれば心はつながる」。
そこで出会った大学生のピースガイドとの交流を通して、丹野さんは記憶を継承していくことの普遍的な大切さを改めて感じたといいます。
そして、この出会いには不思議な縁がありました。そのピースガイドは、なんと佐賀県の出身で、今回のお茶会を主催した富田さんの息子さんの同級生だったのです。
結びに
丹野さんの力強くも優しい語り口は、参加者一人ひとりの心に深く響きました。当たり前の日常がどれほど尊いものか、そして、忘れないことが未来の命を守る力になること。
私たちは丹野さんの言葉から、改めてその重みを受け取りました。この温かい縁を大切に、これからも佐賀の地から応援を続けていきます。

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